カメラマンとさえ仲良くしていれば映画は完成する?
中村:馬場さんは『私をスキーに連れてって』が映画初監督で、あのヒットですからね。それまではメガホンをとられたことは全くなかったんですよね?
馬場:ないですよ、もちろん! 当時は素人監督が映画を撮るというのがすごく流行っていて、秋元康さんとか椎名桜子さんとか、いろいろな方が映画を撮られていましたね。ただ、ぼくはずーっと自主映画を撮っていたんですよ。中学から8ミリで中高大とずっと映画を撮って、それを学園祭で公開したりしていました。
澤本:自主映画を撮られていたんですね。
馬場:社会人になってからは16ミリのカメラを手に入れて、1時間半ぐらいの映画を撮っていました。なので、メガホンをとったことはなかったけど、自分で撮って編集をしていたので、映像を撮ること自体についてはそんなに初めてなことはありませんでした。ただ、ビックリするぐらい大変でしたね。助監督経験もない、3日前まで日立製作所のサラリーマンだった男がいきなり来て「用意、スタート!」とか言うわけですから。
中村:夢のような話だなぁ。
馬場:その頃、ぼくは役者を含め、あらゆるスタッフについて何も言う権利はありませんでした。「主演は誰ですか?」と聞くと「三上博史くんです」と。申し訳ないけど、当時は知りませんでした。ヒロインの原田知世ちゃんは知っていたけど。ただ、「カメラマンだけは長谷川元吉さんに」とお願いしました。CM界のトップカメラマンだった人です。
中村:なぜカメラマンだけは指名されたんですか?
馬場:広告業界の先輩で岡崎さんという方がいらしてね。映画の相談をしたら「キミは必ず現場で苦労するよ」と言われて。「31歳でいきなり現場に行って監督だと言っても誰もついてこないし、大変なことになるよ」と。だけど、そのときに「カメラマンとさえ仲良くしていれば映画やCMは撮れる。カメラマンといればキミの勝ちだ!」と言われたんですよ。「たとえ他のスタッフは全部、逃げ出してもカメラマンさえいれば映画は撮れるから」と。
澤本:カメラマンだけは絶対に味方につけろと。
馬場:「カメラマンだけは本当にお願いしたい人にしたほうがいい」と言われて、それで長谷川さんにお願いしたんです。実際に現場へ行ったら、岡崎さんの予言通りになって大変でしたけど、長谷川さんがずっと盾になってくださって。最初から最後までずっと「こういう風に撮るんだ!」と言って、何があっても動じずに最後まで撮ってくださった。それで映画が無事に完成してうまくいったという。だから長谷川さんは大恩人なんですよね。